ご案内
私の診察では、まず診察室に入室する時の患者さんの様子、表情を見ます。
それから、話をなるべくじっくりと聞きます。眼の不調を訴える患者さんの場合、ここまでで、6〜7割は診断がつきます。
あとは、その仮の診断が正しいかどうかの検証がはじまります。そのために、険や瞬きの様子、眼の位置や眼球運動、それに瞳を観察します。
無論、患者さんの訴えの内容で多少の違いがありますが、神経眼科や心療眼科の観点からは、ここまでで17%以上の情報が得られます。その後、必要なら一般眼科医と同様に、眼球や眼底を観察することになるのです。
眼球を観察してわかる、眼球表面(結膜や角膜)の異常、水晶体の異常(白内障など)、眼底の異常などでは、患者さんの訴えは比較的単純なので、あまり話しは長くなることはありません。これに対して、神経眼科、心療眼科の知識や経験が必要な病気では、いわゆる不定愁訴(具体性、特異性が乏しい訴え)や不明愁訴(これは私の造語ですが、患者さんが訴えている症状に見合う所見が見当たらない)が大半で、話をよく聞いてみないと、答えに行き着きます。
よく、「しょぼしょぼして、すぐ眼が疲れる」と来院しているのに、その訴えは忘れて一般の眼科的診察をし、初期の白内障を見つけて終わりにするような眼科医がいますが、これでは解決になっていないのです。そういう眼の叫びはどこから来ているのかを解き明かしてはじめて診察と言えるのです。
眼はその人のいろいろな健康情報が豊富に含まれています。険や眼球運動には、重症筋無力症、甲状腺眼症などといった病気や、脳の病気が反映されていることがあります。
視野検査では、網膜、視神経から視路(眼球から脳へ情報伝達する経路)の病変が反映されます。そして、眼底には動脈硬化、高血圧、糖尿病などによる所見や病変が含まれていることがあります。
このように、いろいろな眼や眼の周辺の訴えや、見え方がおかしい、という訴えの中には、眼そのものの病気が存在する場合もあれば、全身疾患の影響が出ている場合があります。そして加えて、こちらの大事なテーマである、心の問題が潜んでいることも大いにあります。
「眼は身体の窓」であると同時に「眼は心の窓」でもありうるのです。瞳の奥には網膜という神経細胞の集まりがあります。
そのさらに奥には深遠で広大な脳があります。ここで、眼からの情報を受け取り、解析し、情報の質も評価します。
もっと視覚に影響する病気を持っている人の診察をお勧めしてきましたが、患者さんの視覚を失うことへの怖れ、視覚への願望、心の葛藤は尋常なものではありません。にもかかわらず、視覚の健常な人々よりも、厚みのある人格を備え、きらりと光る人生を送っている人が少なからずいるように思えます。
それは、見えた情報を大事にし、聴覚や、触覚などの多感覚から得られた情報も効率的に加え、さらには眼に見えない気配や空気までも心に届かせる作業をいつも丹念にしているからではないだろうかと、私は思っています。その度合いにかかわらず、眼の不調は、何らかの病気が潜んでいるかもしれないという警告ですが、また同時に、人間の心を呼び覚まそうとする天の声であるのかもしれません。
よく見えるように、適切に眼球を動かしたり、ピント合わせの指令を出すのも脳の仕事です。そして、得られた視覚情報を題材に、考えたり、感じたりする精神活動が起こります。
眼で見て、他の感覚器からの情報も取り揃えて、その対象物を愛し、憎み、嫉み、怒り、悲しみ、喜びといった心の作用が起こるのです。私は幸運にも健常な視覚を持っています。
でも、せっかく見たものを心に届かせること、無為に見過していったものが何と多いことかといつも思い、自分自身に落胆させられます。眼と視覚と心に生ずる厄介な異変に、どう対処し、どうつきあっていくのがいいのか、皆様にご指南することが、こちらの目論見でした。
「眼と視覚」の本や「心」の本は、これまでにも一般向けにも、専門家向けにも、良書が沢山出版されていて、もうあまり付け加える内容はないでしょう。しかし、こちらでは、この両者が実は非常に深く結びついていることを、できるだけ実例も挙げながら、検証してみたものです。
この両者の関係をこのように広く論じ、示そうとした試みとしては、噴矢ではないかと考えております。こちらの中でもたびたび述べましたが、脳の情報の17%近くは、視覚として入ってきます。
一方、人間は感情の動物です。体調が少々悪くても、物事が思うようにゆかなくても、人とうまくゆかなくても、機嫌を損ね、悩み、悲しみ、考え込み、暗くなります。
けれども、とても単純なところもあります。体調が治り、物事が進み、誰かから微笑みかけられれば、嬉しくなって、喜び、うきうきし明るくなります。
想像してみてください。あなたの眼にごくわずかな不都合が起こった場合のことを。
例えば、眼にゴミが入った、痒くなった、涙が出る、乾く感じがする、ピントがいまひとつ合いにくい、こういったことでいいのです。きっと、眼をこすってみたり、目薬をさしてみたり、今やっていることをこりあえず中断して何かしようとするでしょう。
それで治ることならいいですが、数時間も続くことでしょう。あわてて、薬局に相談に行ったり、どこかやってる眼科医を探すかもしれません。
その間、あなたの日常はすっかり止まってしまった。ということは、とりもなおさず、人生の情報の大半が眼から入力されてくるのです。
ですから、眼や視覚の健康や、健康被害は、そのままその人の人生に甚大な影響を与えることになります。そういう状態では、その日の仕事は、もう放り出したくなります。
もし、急ぎの仕事があるから何とかしようとしても、眼のことばかり気になって、すっかり能率は落ち、結局誰かに助けを求めざるをえなくなるでしょう。眼科では大したことはないと言われ、時間ととともに、症状が多少治ってきたとしても、その日は不愉快で、楽しくなく、あなたは機嫌をすっかり損ねるでしょう。
そういう眼の不都合がその日でおしまいなら、大した影響は受けません。ちょっと風邪をひいたのと変わりはありません。
しかし、もし慢性的にずっと続けば、あなたの生活、人生そのものにどれだけの影響を与えるかは、測りしれません。そんなことは珍しい、滅多に起きない話だから、自分は関係ない、と思っていませんか。
それは、自分だけは年をとっても老いないと思っているのと同じで、幻想です。私の患者さんで、日本人、日本文化、そしてご自身の人生とキリスト教の関係を深く考察した多くの著書を書いておられる、ある高名な司祭様がおります。
緑内障で何十年も治療を重ねて来られ、手術も受けています。それでも40歳を越えるころから、加齢とともに視機能の低下が進み、また歩行にも若干不自由が出てきました。
その方に、このごろ視野異常が幾分進んできましたね、と検査結果を示して説明していると、20歳も若い私に、ぽつりと言われました。いやあ、老いとは本当に厳しく、辛いものですね、先生。
じたばたしてもしょうがない表情には悲壮感はありませんが、実感を吐露しておられるのだということがわかりました。
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